1.形成外科とは
ここでは、そもそも、形成外科とはどんな診療をするところなのか、みていきます。
形成外科とは...
ここに示すのは、昭和大学 鬼塚卓彌名誉教授が昭和40年代に作成された形成外科の定義です。
ことば使いはやや難しいですが、形成外科の治療対象を「醜状」という言葉で簡潔にまとめ、さらに、「手術」することは手段であって、最終的な「目的」は個人を社会に適応させることであると、形成外科の「使命」をまとめています。
2.私見:わたしの考える形成外科
ストレスによる十二指腸潰瘍とか、過労死、最近では大災害後の被災者の方が心的ストレスによって身体に異常を来した、という報道もしばしば耳にいたします。
内科学のなかでは「心療内科」という精神と肉体の病気の関連についての専門家がおられます。
これを英語では、Psycho-Somatic-Medicine (精神身体医学、心身医学)といいます。
(著者は実は医学生時代は、この心身医学にたいへん興味をもっていました。)
そして、形成外科というのは、鬼塚の定義にもあるように、身体の異常(形態的醜状)を外科手術で治療することで、患者さんの精神的、心理的な苦痛・悩みを取り除き、その結果、患者さんの社会復帰を促すということになります。
そこで、わたしは、内科の心身医学:Psycho-Somatic-Medicine (精神身体医学)に対して
Somato-Psychic-Surgery 身体-精神-外科学ともいうものが形成外科の根底にある考え方ではないかと思っています。
3.形成外科の歴史をふりかえる
古くて新しい医学:形成外科
紀元前6〜7世紀ごろにはインドの医師Susrutaによる鼻の形成手術が記録に残っています。その後,この医術はギリシア,ローマへと伝えられました。
16世紀にはイタリアに著名な形成外科医Tagliacozziが現れて形成外科の書を著しています。今でもイタリア法として名前が残っている上腕の皮膚を用いて鼻を再建する術式を考案した医師です。
しかし,当時のローマ教会によって
「人体は神の御手により作られたものであり,ヒトの手でこれを作るのは異端である」と非難されてしまい、その後19世紀までは,ほとんどみるべき進歩はありませんでした。
19世紀になると教会の権力も衰え,人権の尊重される社会へと変化してきたため,形成外科の存在価値が認められるようになりました。
また,20世紀の第一次,第二次世界大戦での多くの戦傷者の治療を行うことで、形成外科の技術は大きく発展したといえるでしょう。皮膚移植,顔面骨骨折の治療,その他の組織移植術などが大きく進展しました。
なかでも「微小血管吻合」の進歩は,切断指の再接着で世間を驚かせましたが,形成外科領域での遊離組織移植だけでなく,現在では心臓の冠動脈バイパス手術や腎臓,肝臓などの移植など幅広い医療分野で活用されています。
日本での形成外科の歴史
明治時代以前は徳川幕府の鎖国政策により,日本の医療はいわゆる漢方が主流であり,西洋医学は長崎の出島から細々と入ってくるだけでした。
また,明治以降も日本では儒教の教えにある「親からもらった身体をキズつけてはいけない」という考え方や,葉隠にある「武士道とは死ぬこととみつけたり」という武士道精神のために,“形をなおす”形成外科手術は白眼視されていたようです。
近代日本形成外科は,昭和33年に日本形成外科学会が組織されました。昭和50年には,厚生省から標榜科としての「形成外科」が認められ,一般の病院でも「形成外科」の看板を掲げて診療することが可能となりました。
また,美容整形といわれていた「美容外科」も昭和53年には,標榜科として認められました。
形成外科の存在価値とは
大昔から医学には、手術治療を行う外科と、薬物治療をする内科がありました。
そしてどんな手術も、すべて外科が行っていました。その後、医学が進歩してくるなかでより細かい専門にわかれてきたのです。
口唇口蓋裂や、多指症、小耳症などのこどもの先天的な病気を、「外科・脳外科」などと協力しまた、その技術も吸収した上で「形成外科医」が扱うことで、こうした分野は発展してきました。
また、皮膚移植手術も昔は一般外科の仕事でした。(昭和30年ころは、うまく皮膚が移植できないことも多かったそうです)しかし、皮膚を単に移植するだけでなく、よりきれいに生着させることが求められてくると、医師の方にもより高度な技術を習得した専門家が必要になってきたのです。
その他、たとえば顔面に発生したガンの治療技術がすすみ、進行したガンも広範囲に外科手術を行うようになると、ガンをとった後に顔を再建することが重要になってきます。そこで、そのような再建手術のエキスパートとしても形成外科が注目されるようになります。
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